わたるの日記

教育(学び、小中学校、特別支援など)について

やなせたかし

<あらすじ>

やなせたかしは東京都に2人兄弟の長男として生まれた。幼いころ、父が亡くなり、母とも分かれることになる。弟と一緒におじおばの家に預けられた。高知県の田舎町で過ごすことになった。たかしは遠慮もありおじおばに心を開けずさみしい思いをした。その時さみしさを忘れさせてくれたのが漫画を描くことだった。ひたすら漫画を描いた。その中で将来漫画家になることを夢見た。その後本格的に漫画を目指すために高校卒業後に東京の美術学校に入学する。卒業後デザインの会社で働きはじめたころ、戦争が激しくなってきた。たかしも兵隊として戦地に行くことになった。その戦地での体験は悲惨だった。特につらかったのは食べ物がなかったことだ。現地の人に食べ物を譲ってもらった。生えているものは何でも食べた。とにかく食べるものがないのはつらいんだ。戦争が終わり故郷の高知県に戻る。そこで悲しい知らせを受ける。ともに歩んできた弟が戦死してしまったのだ。たかしは考えた。「弟が死に、私は生きて帰ってきた。私は何のために生きるのか?弟はさぞ無念だっただろう。その弟のためにも生きるんだ」同時に、「正義のために戦ったが、相手にとっても正義があり、結局は戦争は殺し合いじゃないか。正義っていったい何なんだ?」という問いを心の中にもつに至った。その後廃品回収の仕事をしていた時の事、ある兄弟を見た。兄が弟に食べ物をあげていた。そこでたかしはハッと気づいた。「本当の正義とは、おなかがすいて困っている人に食べ物を分けてあげることだ。これは誰も傷つけない」再びたかしは漫画家を目指すために東京で働くようになる。そして32歳の時に漫画家としてデビューする。だが仕事がいっぱいあるわけではなかった。やれることは色々した。舞台の脚本、イラスト、映画批評など。そういった日々を過ごす中で、アンパンマンを書いたのは53歳の時だ。ただ最初から人気が出たわけではない。ただたかしは書き続けた。中には「顔をちぎってあげるなんて気持ちわるい」などの批判の声も聞かれた。たかしは作風を変えなかった。ある思いがあったからだ。「人に何かしてあげるためには、自分も傷つくことを覚悟しなかればならない。それでも目の前の人をなんとかしてあげたいという思いがあふれたとき、愛と勇気がわいてくるんだ」それを体現しているのがアンパンマンだった。たかしの伝えたいことを物語にしたのがアンパンマンなのだ。売れるから儲けるためにしているのではない。伝えるために描いているのだ。その後アンパンマンは子どもたちの人気を徐々に得ていく。今では大人も含めて日本のみんなが知っている話になった。たかしが90歳の時、東日本大震災が起こった。そのニュースを見ていた時、被災した人たちが「アンパンマンマーチ」を歌っているのを目にする。自分の生み出した作品が多くの人たちを勇気づけている。心が震えた。たかしは高齢で気力体力的にも十分ではなかった。もうゆっくり休もうかと思っていた。だが考えが変わった。自分もこの人たちのために行動しよう。復興のための映画を作った。歌を作った。ポスターを書いた。自分にできることを死ぬ間際まで力を振り絞ってやり続けた。そして大震災から2年後、93歳でこの世を後にした。